緑内障と網膜剥離になった話

緑内障と向き合う
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ハイサイ! 沖縄ナースマンのゆーじん(@YJ_nurseman)です。

 

実は私、持病があるんです。その名も「緑内障」

小学生のときに急性網膜剥離を発症して、それ以来ずっと眼科とのお付き合いがあります。そんな私の眼の話を書いていきます。

 

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網膜剥離発症

いつもと同じ朝のはずが

その日のことはよく覚えています。小学生のある日、朝起きるとなんか違和感がありました。左眼がなんかぼやーっとして見えづらいんです。顔洗って落ち着いてみてもやっぱり変。隅っこのほうに黒いもやもやしたものが見えるのです。

もともとあまり視力は良いほうではなく、授業中はメガネをかけていました。「視力が悪くなったのかな?」と思うくらいで、あまり深くは考えていませんでした。

 

やっと病院へ

そんな違和感を抱えながら数日過ごしていました。体育の授業も普通に受け、休み時間のサッカーもし、小学校生活を友だちと楽しく過ごしていました。しかしいつも左眼のことが気になり、しだいに黒いもやもやが広がっていることに気づいたのです。

さすがにこの状況はおかしいと思い、母親に訴えました。驚いた母はすぐに病院に連れて行き、眼科医の診察を受けることになりました。検査や診察の後、かなり長い時間待たされたのをよく覚えています。不安でたまりませんでした。

 

大学病院への紹介、即入院へ

すべての検査結果が出そろい、母と僕は再度診察室に呼ばれました。そこで先生は「左眼の網膜がはがれています。すぐに入院と手術が必要なレベルです。大学病院へ紹介しますのですぐに行って下さい。」と告げました。

初めて聞く単語が多すぎて、理解するのに時間がかかりましたが、すぐに処置をしないと失明するレベルであることはよくわかりました。帰りのタクシーの中で母が悲しそうに私に謝ってきました。早くに気づいてあげられなくてごめんね、と。
もちろん母のせいではありません。違和感に気づきながら何も言わなかった私が悪いのです。しかし小学生が自分の身体状況を正確にアセスメントして、他者に伝えるというのもなかなか難しかったであろうとは思います。

 

初めての入院と手術

網膜剥離とは

網膜剥離とは眼球の内側にある網膜がはがれてしまうことで、急激に視力の低下を引き起こします。何も処置しなければどんどんはがれていって、ついには失明する危険性があります。よくボクシング選手などが、頭部への物理的ショックを受けすぎて発症する話を聞いたことがあると思います。

その他には加齢や糖尿病なども原因となりますが、原因不明の場合も多く、私の場合も原因不明ということでした。もともと視力低下や乱視があったので、その影響もあったのではと考えています。

 

入院、手術、手術、また手術

受け入れ先の調整などがあり、最終的に大学病院に入院したのは最初の受診から2週間ほど経っていました。そして入院の翌日には手術となりました。移動式ベッドで手術室に運ばれ、テレビでしか見たことのない手術室の中やいろいろな機材を眺めていると、いつの間にか麻酔が効いて眠ってしまいました。

そして次に気づいたときには、真っ暗な部屋にいて、先生や家族の声で目が覚めました。起き上がろうとすると、看護師さんが体を押さえつけます。先生からは体を起こさないように絶対安静と言われます。そしてしばらくは食べても飲んでもいけないと。後で聞いたのですが、この初めての手術、実に15時間ほどかかったということです。

その後、高校を卒業するまでの間に8回の入院10回の手術を受けることになります。おかげで学生生活の思い出の中に、入院生活の思い出が占める割合はけっこう大きくなりました。

 

緑内障の併発

最初の入院中から治療を開始

網膜剥離の発症とその経過に伴い、僕の左眼にかかる圧力(眼圧)が、だんだんと上昇していきました。眼圧が上昇すると視神経が傷つき、視野が狭くなったり視力低下が生じます。これが緑内障です。緑内障の種類や原因はさまざまですが、私の場合は網膜剥離の発症に伴うところが大きかったようです。

入院中すぐに数種類の点眼薬が開始されました。そしてそれは現在でも続いています。

 

いろいろな生活制限

眼の病気の影響で学生時代、特に中学高校といろいろな制限がありました。特に中学生のときは定期試験が受けられなかったり、いろいろな行事も不在のままでクラスに在籍してましたので、小学校の同級生以外には、「あいついったい誰?」的な扱いでした。

その後も、体を激しく接触させるような運動は禁止されたり、夏休みはほぼずっと入院だったり、高校受験前にも入院してたり、バスケ部に入ったものの結局辞めなければいけなかったりと、いろいろありました。病院に行くために午後から登校したり、途中で早退も多かったです。おかげで中学校卒業時の内申点は本当に悪かったです。

でも何だかんだいって楽しい学生生活でした。友人や周囲の皆の理解のおかげです。

 

網膜剥離、再び。

最初のの発症から30年後

さて、社会人になってからも点眼薬やレーザー療法などによる治療は続けておりだいぶ落ち着いていました。おかげで高校を卒業してからは一度も入院することはなかったです。

しかし眼圧を下げるための点眼薬は5種類に増え、約4時間おきごとにそれぞれ点眼するのです。眼圧は正常基準値をやや越える数値で推移してきました。なかなか安定しない眼圧と、増え続ける点眼薬、そして仕事や生活のあわただしさもあり、点眼は続けていたのですが、あまり眼のことを気にかけなくなっていました。そして最初の発症から30年後、再びあの恐怖を思い出すのです。

 

久々に訪れた失明の恐怖

看護師としてある程度の経験も積み、妻と二人の息子にも恵まれ、毎日忙しくも楽しく過ごしていました。また長年住んでいたところを離れ、新たな家に引っ越しをし、いろいろな手続きを終えて一息ついたある日、体に異変を感じました。

朝起きて歯を磨いていたときに、鏡に映る自分の姿のうち、右下当たりにかすかな黒い影が見えたのです。その日一日仕事をしながら、ときどき見え方を確認します。すると朝より少し範囲が広くなっている気がしたのです。

少しざわざわした気持ちを抑えながら、翌日かかりつけの眼科を受診しました。診断では網膜に異常はなく、緑内障の進行による視野の欠損ではないか、ということでした。しかしなにか腑に落ちません。これまでの経験と看護師としての知識が、セカンドオピニオンとして別の病院に行くように私自身を強く促すのです。

 

最後に美しい妻の顔を見る

そして翌日に、開院したばかりの眼科クリニックに行きました。そこを選んだ理由は、単に家から近かったのと、ホームページ「緑内障専門」とあったからです。受診した朝の時点で視野は1/3まで欠けていました。妻に付き添われながら検査を受けていると、急にスタッフがざわつき始めます。そして最優先で検査が進められ、すぐに診察室の前まで案内されました。

このとき来院してから1時間ほどでしたが、すでに90%ほどの視野が欠けているのを自覚していました。私は隣で泣いている妻の手を握り、この美しい顔を見るのは最後だと思い、妻の顔を残った視野で何とか見つめながら「いままでありがとう、ごめんね。」と伝えました。

 

そして緊急手術へ

妻が何か言おうとしたそのときに、診察室に呼ばれました。医師は妻と私に、「これは急性の網膜剥離です。今すぐに手術をしなければ失明するレベルです。もしかしたら間に合わない可能性もあります。大学病院には連絡を入れたので今すぐ向かって下さい。」と伝えました。

泣くのを必死にこらえながら看護師さんから紹介状などを受け取っている妻の横で、私はなぜかさっきまでの絶望感が薄れ、逆に希望が湧いてきました。緑内障による視野欠損なら、回復は難しいだろうと予想していたのです。しかし網膜剥離なら以前の手術の記憶もあります。うまくくっついてくれれば元のように見えるかもしれないという希望がありました。

大学病院に着くと担当医がスタンバイしていました。着いて一時間後には手術室に運ばれ、麻酔を準備する時間もないとのことで、鎮静剤の注射をされたのみですぐに手術が始まりました。30年前の記憶では、初回の手術は15時間かかりました。今回もそれを覚悟していましたが、手術はちょうど1時間で終わりました。そしてそれから2週間後には退院することになります。妻や子どもたちはもちろんですが、30年前の私の姿を一番知っている母も、遠い病院までバスに乗ってお見舞いに来てくれました。

 

現在の眼の状況

退院してからも2週間ほどは全体的に視野が白くぼやけていて、トイレに行くのにも壁を伝いながら、ときには息子に手を引かれながら行っていました。しかし手術後4週間経ったころには、ほぼ元の通りに見えるようになっていたのです。
主治医からも車の運転の許可に続いて、職場復帰もOKされました。

そして現在、2ヶ月に一度は診察に通い、特に支障なく日常生活を送っています。視力は裸眼で1.0いくかいかないかってところまで戻りました。点眼薬もしっかり入れており眼圧も安定しています。何より家族とまた、元の忙しくも楽しい時間を取り戻すことができました。

 

病気を通して得られたもの

緑内障と一生付き合っていく

緑内障の治療は一生続きます。視神経の損傷による視野欠損や、網膜剥離の恐怖は絶えず付いてまわります。とにかく今できることは点眼薬をきちんと入れて、定期的に診察や検査を受けることです。看護師ときどき患者というスタイルを長く続けていく覚悟です。

緑内障が完全に治るということはありません。点眼薬で眼圧を正常に保つことが何よりも必要です。そして自覚症状がないからといって安心せずに、定期的に専門医の診察を受けることも必要なことです。

 

ご恩を少しずつでも返していきたい

看護師として患者さんに眼の大切さを伝えることはもちろんですが、もっと多くの人に緑内障や網膜剥離について知ってもらいたいと思ったのも、ブログを始めたきっかけです。今回の入院中に、もしまた見えるようになったら、ブログやってみたいな、と思っていました。

退院するその日に、担当医から「言わなかったけど実はけっこう危なかったんだよねー。もう少し来るのが遅かったら本当に失明していたかもしれないよ。」と言われました。本当にこの先生は私の命の恩人です。

また妻や子供たちが「もし目が見えなくなっても、みんなで支えるから大丈夫!」と言ってくれました。家族の支えには何よりも感謝でいっぱいです。少しずつ恩返しができるように頑張っていきたいです。

 

最後に

でもうちの息子たち、「お父さんを支えていく!」って言ってくれたあの頃の気持ち、今でもあるかしら…。
仕事終わって疲れて帰ろうとするときに、「〇〇にいるから迎えに来てー!」
と、しょっちゅう電話がかかってきます。ため息つきながらハンドルを握りますが、これも眼が見えているからこその幸せですよね?

 

ゆーじん
ゆーじん

今回は以上です。よければその他の記事もご覧下さい。
それでは、グブリーサビラ!(またねー!)

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